訃報

 当財団の前理事長である落合清四儀はかねて病気療養中のところ、去る三月三十一日午前一時三分永眠されましたので謹んでお知らせ申し上げます。享年七十七。葬儀は故人の遺志により親族のみにて執り行ったとのことです。

 氏は、一九四六年八月三日島根県大東町(現、雲南市)生まれ。一九六九年三月島根大学教育学部を卒業され、当時急拡大していたスーパー業界のニチイに入社。そこで労働組合の結成準備委員に推され、労働組合結成後は一年後に専従役員になり、その後一九七二年ニチイ労組書記長、七五年ゼンセン同盟流通部会副書記長、七九年ゼンセン同盟常任中央執行委員流通部会書記長、九二年ゼンセン同盟産業政策局長、九六年ゼンセン同盟書記長、二〇〇四年UIゼンセン同盟会長代行、〇八年UIゼンセン同盟会長と二〇一二年に退任されるまで、四十年以上に亘って労働運動に邁進されました。その後、二〇一四年六月に当財団の理事長に就任されました。氏は、東京での長い単身赴任生活を終え、大阪での生活に戻ったところでしたが、当財団の大松明則第五代理事長が急逝されたことで、欠員状態となっていた理事長職を引き受けていただき二〇二一年十月まで七年四カ月に亘り、理事長を務められました。

 氏は、神話のふるさとである出雲の出身であることもあり、日本の古代史に造詣が深く、休日には奈良の史跡を散策することを楽しみにしておられました。財団でも、日本史の深い知識を生かした講義をされていました。財団理事長を退任された後は、故郷の島根に戻り令夫人との落ち着いた老後生活を送られていましたが、病魔に襲われ昨年七月より闘病生活を続けておられました。私は昨年八月に氏をお見舞いしましたが、その頃は点滴治療中だったこともあって体力が落ちて、歩行も困難になったと言われていましたが、その後、リハビリに励んで一人で歩行できるようになったと聞いていましたので、いずれ健康を回復されるとばかリ思っていましたが、三月末に容体が急変し、そのまま帰らぬ人となりました。なお、ご令室さまより御供物、御香料等の受け取りは固くご辞退されておりますことを申し添えます。

 ここに改めて、氏の当財団へのご貢献に感謝申し上げ、謹んでご冥福をお祈りいたします。

合掌

公益財団法人 富士社会教育センター

逢見直人

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次